母の日のご法要でした

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この度は5月10日㈰に 名古屋より大谷派有隣寺ご住職祖父江佳乃先生にお運びいただいて宗祖親鸞聖人の降誕会法要をお勤めいたしました

初の女性総理大臣がもとめられて誕生した、これまでと何かが変わっていっていると感じられる昨今です

でも私も皆さまもいつのまにか時々固有名詞が出てこないことや、筋肉は落ちてきたことや、目がかすみ、ちょっと早足で進むと息が切れるようになったことなど

このことは私を取り巻く社会の変化に匹敵するほどの一大事を知らせてくれているということを、先生は迫力ある言葉と眼差しで問うてくださいました

ありがたいお取り次ぎでございました

先生ありがとうございました

残って輪の中に入ってくださっての会座 ありがたい

その夜Mさんから 「 奥さんにお渡しした本位牌はいつ返してもらえますか?」とお寺に電話がありました

坊守 「 こんばんは!Mさん。お位牌ではなくて過去帳ですね。桜色の。それ、ご長男にお渡ししましたよ 」

Mさん 「 え!私の家内の法名が書かれているんですよ!いくら長男でも勝手に渡してもらっては困る!」

坊守 「 Mさん申し訳ありません。これから気をつけるようにいたしますね。ところで、今日はお出かけなさいました?」

Mさん「 今日は散歩にいきました。」

坊守 「 それはよかったですねぇ。お天気が良かったですもんね。今夜はよく眠れますね 」

Mさん 「 ええ、そうですね。ところで、私は本位牌を欲しいんです。」

坊守 「 Mさんお仏壇をお持ちでは無いですもんね。塗りのお位牌に奥さまの法名を書いて置いておきたいですね。お仏壇屋さんにご相談なさったら大丈夫ですよ 」

Mさん 「 お仏壇屋さんに言えばいいんですか?わかりました。ありがとうございます 」

Mさんは、夕方や寝る前、何回も同じことを聞くためにお寺にお電話なさいます

最初は私も住職も状況がわからず、ご家族に確認の電話をかけたりしましたが

一人暮らしの夕方や夜は さびしい

そういう理由だと感じてからは 

よく眠れたら良いな と思って受話器を置きます

現役で仕事をなさっていた頃は大変優秀で、仕事にも出身大学にも誇りを持っていらっしゃいます。でも、今はもう昨日のことも覚えていることができません。

怒りっぽくもなりました

奥さまが往生なさってからは、一層記憶障害は進んでいます。

伯父真田増丸の勧めで佐賀へ嫁いだ母の母。フニャッとした私

昔、母や祖母は「あ!〇〇さんが、また一人でどこかに出かけよる。家の人が心配するやろうからちょっと行ってくるね」と境内から外へ駆けていきます

「 〇〇さん!私、ちょうど今〇〇さんの家に行きよるとですよ。よかったら一緒に家まで帰りましょうか?」

そう言って、行方不明未遂の〇〇さんをご自宅に送り届けていました

のどかな地方のお寺のお話し。

でも驚くことに、横浜のお寺でも似たようなやりとりが起こります

佐賀でも横浜でも 歳を重ねた人の姿は同じだと知らされます

祖母や母がどんな気持ちでその姿を見て、あんな芝居じみたことを演じていたのかが、今では私も少しわかるようになりました

可愛かった頃の母と赤ちゃんの私 光徳寺の中庭の大牡丹の傍で

今年は母の日に、親鸞様の降誕会をお勤めさせていただきました

自分がいつの間にやら亡き祖母や 今では自らが記憶がまだらになってきた母の後を同じように歩いていることを思いました

「そのまま救う」のお慈悲のありがたいことを、先行く人が教えてくださっています

お母さんありがとう、そう思いながらお念仏させていただいた日です

なもあみだぶつ