さみしいという感情はマイナスではない 2021/12/3

住職の法話

 『サラダ記念日』で有名な歌人の俵万智さん。彼女のお子さんは、宮崎県の中高一貫校で全寮制の学校に在籍しているそうですが、入学して間もない頃、彼女のお子さんはひどいホームシックになってしまったそうです。本人の強い要望で入学したとはいえ、ほんの一ヶ月前までは小学生。ほとんどの生徒がそうなるので、先生が「先輩達も、みんな慣れて平気になっているから大丈夫」と、お子さんを励ますと「このさみしい気持ちを忘れたくない、平気になる自分の方がイヤだ」と彼は答えたそうです。「会えなくてさみしいと思える。そういう家族がいるのは、プラスの事です」と母である俵万智さんがコラムを締めくくります。

 先日、ある方のご主人の四十九日法要を勤めた時のことです。「ご住職、相談したいことがあります。実は主人を亡くしてさみしくて、かなしくて・・・。どうしたら平気になりますか?」

 「どうか、そのさみしいという心を大切に受け止めてください。さみしいという感情はマイナスではありません。会えなくてさみしいと思える、そういう大切な人がいるのは幸せなことですよ。」

 「愛別離苦」の悲しみは、若い頃より年齢を重ねた方が深くなるようです。愛情が深ければ深いほど、その時間が長ければ長いほど、悲しみが深くなり苦しくなります。早く悲しみを消し去って楽になりたいと思いがちですが、焦らずに悲しみをそのまま懐いてジッと、心の痛みを感じ取ってみる・・・と。会いたいくて、自分ではどうすることもできない悲しみの中に包まれて、初めて仏さまがずっと語りかけていた言葉がやっと私の心にストン落ちてきます。

 「倶会一処」 また必ず会える世界がある。大丈夫、大丈夫。 仏さまとなられたご主人は、大きな悲しみ(大悲心)となって、私に働いてくださっているのですね。だから「悲しい」と感じることは、ご主人(仏さま)が私と今、共にいる証拠・・・だと。

 風が木々を揺らす音が、鳥のさえずりが、悲しい出来事も・・・。私が仏さまのお慈悲(大悲心)を頂けるように、仏さまが働いて下さっておられたのだと、だからこれからは、一人じゃないと・・・。

                      「西法寺だより」113号より