親鸞聖人のお書きになられた『教行信証』に「権化の仁」という言葉があります。「権化の仁」とは、仏さまは思いもよらない様々な人の姿となって、私を仏のはたらきに気づかせてくださるという意味です。
今から三十年前の事です。本願寺の仕事で、南米の浄土真宗寺院に二週間かけて、ご法話をするご縁を頂いた事がありました。
ブラジルのサンパウロにあるお寺の法座の後に、結婚式を執り行うことになっていました。日本のお寺では、結婚式はほとんど行われませんが、ブラジルのお寺では、結婚式を沢山行うそうです。珍しいので、私も参加させていただきました。指輪の交換の後、住職が「これからは二人の目で、仏さま探しの共同作業をして頂きながら、これからの人生を送って欲しいと思います」とご法話されました。これから未来に向かって希望に満ちた中でされるご法話は、私にとって新鮮で非常に印象的でした。
二十年前、東京首都圏に浄土真宗の寺院が少ないと言うことで、本願寺の命により縁あってこの地にお寺を建てました。もともとこの場所は江戸初期から続く由緒あるお寺でしたので、境内地の中に歴代住職のお墓があります。坊守が歴代住職のお墓の掃除をしていた時、古くて読み難くなっているお墓に彫られた字を何気なく読んでみたら「筑後国久留目住人」とあります。坊守の出身のお寺は、福岡県の久留米市の近くにあります。今まで気づかなかったけど、江戸時代に久留米から、この地に住職として移り住んでおられた方がいらっしゃったなんて、思いもよりませんでした。「この場所に私たちがお寺を建てたのは、偶然じゃない。仏さまに導かれて来たのかもしれないね」という坊守の話を聞きながら、三十年前のご法話を思い出していました。
「二人の目で・・・。」
「西法寺だより」114号より