昨年の暮れ、八十七歳になる母が、コロナウイルスに感染しました。初めは熱もなく、軽く咳が出る程度でしたが、念のため入院させました。1月5日その年初めての、ご法事の最中に「母危篤」のメモを渡されました。ご法事が終わってから、すぐに病院に連絡をしました。すると八十七歳で肺炎になって危篤になったと言うことは、十中八九助かりません。でも、体調は変化しますから、もし話せる状態になれば連絡するので、スマホは持っていてくださいと言われました。それから、寝るときもスマホを抱きしめるようにして寝ていました。
「ほら、横浜の息子さんよ」病院から連絡があってスマホを開くと、看護士さんの向こうから母の苦しそうな息づかいが聞こえます。
母の姿を見ると、これが最後だなと悟った私は、いつもは「お婆ちゃん」 と呼んでいましたが、これが最後と思い 「お母さん・・・。」と呼びかけました。私が小さい頃からシュンとした顔をすると「しっかりせんね!」と、お尻を叩くような母でしたので、そのように見えたのでしょう いきなり
「年よりから順番通りに死なんといけんと! そうせんと 若いもんが 困ろうが!」と叱られました。「ハッ」と我に返った私は「生死無常のことわり、詳しく如来の説きおかせおはしまして候うえは、驚きおぼしめすべからず。信心決定の人は必ず浄土に往生す」 親鸞聖人の言葉を思い浮かべていました。
「でもね、あんたは まだ子供がいるから、もう少し頑張らんといかんよ」
と言った後に、
「頑張らなくっちゃ~♪頑張らなくっちゃ~♪」
ピンポンパン体操の歌を歌い始めました。長らくお寺の保育園の園長先生をしていたので、思い出したのでしょう。
自分が死のうとしているのに、息子を励まそうとする母の姿がそこにありました。
しばらく話をした後に、お医者さんから「もうそろそろ良いですか?」と言われたので、
「先生、最後に一つだけよろしいでしょうか?」とお願いして、
「お母さんもう人としての命が終わってしまうね。悲しいね。でも、幸いにお念仏称えさせて頂く人生を歩ませて頂いたから。お母さんはこれから、仏さまの世界に行かせてもらうね。僕もそこに必ず行かせてもらうから、それまで お母さん待っててね」
「あ~ それがよか、それがよか。この世は苦しい。」
本当に苦しそうでした。
「仏さまの世界で、また会える日を、楽しみに待っとるよ」
という言葉を残して、LINEが切れました。
「お浄土があって本当によかったなと、しみじみと思わせて頂きました」
「西法寺だより」110号・111号より