冬になると何故かひょっこりと こちらが思いもしない人がお見えになる
こちらはそんな出会いも楽しみなのだけれど
今年も思いを抱えた人がお訪ねくださった
「 結婚を迷っている 」 という
コロナで3年
こんな思いを抱える人がどれだけいらっしゃることだろう
相手があるだけでも幸せ とも言えなくはないけれど
この線を越えて おそらく彼女たちが望んでいる幸せとは違うものも一緒に背負うことになる
人生の大きな決断に迷うのはコロナの時代だけではない
一回だけしかしたことがない私の話は大海の一滴
結局 「 しあわせってなんだろうね? 」 「 ひとの数だけ?」
一緒に考えて 少しご自分の状況を整理していただいて
第三者から見える景色と 一滴の経験をお話しさせて頂いてお帰りになられた
あらためて 自分にもあったなぁと
古い写真を引っ張り出してみる
私の祖父は私がまだオシメをしている頃から( と聞いている )
「 ナナミ さあ出かけるぞ 」 「 どこに? 」 「 臍の(が)向いたとこ 」
と行先と目的を言わずにどこかしこと連れまわす人だった
住職であったので祖父はめったにスーツを着ないしネクタイを締めないのだが
その日は珍しく締めていた
それも 田中丸善八っつぁんというおじいさんから誂えてもらった自慢の ニシキヘビのような柄のネクタイを、、、
鼠色の地に 若冲の鶏のトサカのような赤のちらっと入った 総絞りのネクタイじゃなくて良かったけれど
明治生まれの祖父が『ぜんぱっつぁん』のネクタイを締めるときは特別な人に会う時だった
その辺の誰かに会いに行くのではないのだな、、、
そう感じて 私は邪魔にならないものを着ておかなければ
と地味目なツーピースを選んでついて行ったことを思い出す
福岡へ着いてみると じいちゃんの古いお友達がいらっしゃった
その じいちゃんのお友達のおじいさんは前もって目的をご存知だったようで
「 若い者の結婚なんぞに ワシらのような年寄りがいろいろ言うたら するちゅう者がおらんようになるわ! 」
と 大正生まれの人の中では大きいと思われる体を揺すって笑われた
「 たしかに 今そのような男が宗学院で勉強しよる
大阪の稲城さんがかわいがっとるようやけど
私の講義にも出ておるよ
ワシらと違って真面目に通って勉強されとるぞ
次男というから自分が継ぐ寺があるわけでないから 本当に学びたくて来とるんやろう
あんたの孫だけあって 面白い男に縁があったな 」
それを聞いたじいちゃんはとても渋い顔をしていたような気がする
「 お嬢さんな 今という時代はとくに 男とか女とか関係なく
お釈迦さまや親鸞聖人が指してくださった教えの謂れを学ぼうと思う者は学ぶことができますよ
ただ 今も昔もそれほど本気の人間は多くないように思います
寺の次男に生まれて 宗学院まで来てそれを確かめたいという男も まぁあんまりおらん
そういう男に連れ添うのは大変かもわからんな ただ
夫婦して たしかな信心というものに恵まれるという事は ほんとうに有難いことだと わたしは思います 」
あの時の私は あのおじいさんが 何を言ってくださったのかわからなかったけれど
今ようやくその意味がわかってきた
私の人生は私が歩くのですね
貴方の人生は 貴方が歩くのですね
歩く先が見えていると 安心 と
そう教えて頂いていたのに
ようわからんで歩いてきました
武邑尚邦先生 じいちゃん ごめんなさい
ありがとうございました
後から歩く貴方も どうぞ
なもあみだぶつ